ギャルがわかりやすく解説!憲法第20条~信仰の自由ってこんなに重要!

日本国憲法第20条、みんなの信じる心は憲法が守る!

こっちの記事はね、日本国憲法第20条についての解説なんだよー!

でね、この第20条って言うのはね……

宗教とか、信じるもんは人それぞれでしょ? それが自由ってわけ!
何も信じないのも、全部信じちゃうのも、全然オッケーなの!

だからね、他の人に無理やり決められたり、強要されたりすることはないんだよ。
国が特定の宗教を押しつけるなんてことも、絶対ダメ!
でもね、信仰の自由があるからって、宗教団体が好き勝手やるのもナシだよ。

あと、国とか地方公共団体とかはね、
特定の宗教を贔屓にしたり、政治で利用したりしちゃダメ!
宣伝みたいなことも、絶対にしちゃいけないの。

具体的にって話はこれからしていくよ!
それから、自民党が進めたがっている改憲草案の中身とか、問題点とかについても、ね。

最後まで読んでくれたら、マジで嬉しいな!

目次

日本国憲法第20条【信教の自由】

条文をかみ砕いてみるね!

信教の自由ってのはね、みんなに保障されてるの。だから、どんな宗教団体も、国から特権をもらったり、政治で宗教パワーを使ったりしてはダメなの!

2
誰もが、宗教の行事とかに無理やり参加させられることはないよ。

3
国やその機関は、宗教教育とか、そんな宗教的な活動は絶対にやっちゃいけないのよ。

ちなみに原文はこれね!

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3
国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

日本国憲法第20条をさらに解説してみちゃうね!

信教の自由って?

現行の憲法ではね、信仰の自由、めっちゃ認められてるの。
具体的には、こんな3つの自由があるってわけ。

信仰の自由

好きな宗教を信じたり、信じなかったり(無宗教でいる)すること、
それまで信じてた宗教を途中で他のに変えることも自由なの!
これらは全部、自分で決められるんだ。

宗教的行為の自由

信じてる宗教の儀式とか行事、布教活動とかを自由にやれるの。
でもね、信者だからといっても宗教行為をしなくてもいいし、
そういうのに無理やり参加させられないって自由もあるのよ。

宗教的結社の自由

特定の宗教を広めたり、仲間内で宗教行為をするための団体を作る自由もあるんだ。

絶対的な自由があるわけじゃないんだ

まずね、憲法の各条文は、単独で存在してるわけじゃなくて、全部つながってるの。
だから、この第20条で「信仰の自由」が認められてるって言っても、
何でもかんでも自由ってわけじゃないのよ。

例えば、「宗教的行為の自由」についてね。
宗教的行為の自由があるからって、
みんなが安心して暮らせる社会(公共の福祉)を害するような儀式をやったり、
そのような手段で人を勧誘したり、献金を強要するのはダメってこと。

「宗教的結社の自由」も同じで、その結社が反社会的な活動をしてたら、当然ながら罰せられるの。

つまりね、他人の権利を侵したり衝突するような場合は、最小限に制限されるってこと。

オウム真理教の解散命令みたいに、
反社会的だって認められたら制限される(解散命令が出る)わけ。

政教分離の原則ってなぁに?

政教分離の原則、
それはね、「国とかその機関は、宗教教育やその他の宗教活動をやっちゃダメ」ってやつ。
つまりね、国家と宗教はバッチリ分けろよって言っているわけ。

これは「国会の非宗教性」とか「宗教の中立性」ってとこ。

でもね、国は宗教関連にまったく関わらないって意味じゃないのよ。
ミッション系学校みたいに、宗教法人が作った学校にも補助金が出ることがあるし。

「じゃあ、第3項ってなんのためにあるの?」って思うかもしれないけど、
これはね、国民の「信仰の自由」を守るためにあるの。

国家のやることが、この第3項に反してないかって判断するときは、
国民の信仰の自由が守られてるかどうか、それがポイントなの。

具体的には、国のやることに以下のようなことが含まれていないか?って感じ。

  • 宗教的な意味が含まれていないか
  • 宗教を助けたり推進したりする結果になってないか
  • 圧迫や干渉をもたらしてないか

これらの要素があったら違憲ってことになるけど、
ただ補助金を基準通りに出すだけなら違憲にはならないってわけ。

自民党が第20条をどんな風に変えようとしているか知っておいて!

何を変えようとしてるの?

政治が宗教にガッツリ関われるように変えようとしてるんだよね。

問題点って何?

信教の自由が守られなくなるかもしれないの。
それに、国が特定の宗教をひいきすること(癒着とかね)が、
憲法上OKになっちゃう可能性があるの。
つまり、「政教分離の原則」がガン無視されちゃうってこと。

例えばね、政治家(主に自民党)と統一教会がくっつくことも、合憲になっちゃうかもしれないのよ。

これ、めっちゃヤバいことだよね。
明治憲法の時に、国家神道がえこひいきされて、
軍国主義と結びついて戦争になっちゃったこととか、
他の宗教の信者が弾圧されちゃった時代にまた戻っちゃうかもしれない
ってことを示してるの。マジで注意しないと!

「信教の自由の保障範囲」がはっきりしなくなるよ

現行の憲法では、信教の自由は「何人に対しても」保障されてるけど、
改憲草案だと、「信教の自由は、保障する」ってだけになっちゃってるの。

なんでわざわざ「何人に対しても」って部分を消したのかな?って考えてみると、
「保障されない人がいるかもよ」ってことになっちゃうよね。

で、どんな人たちを保障しない気なのかっていうと、
他の条文を見ると、自民党の考えがちらっと見えてくるの。
多分、こんなこと考えていると思うよ。

「自民党の方針に合わない人たちの信教の自由なんて認めないよ」って、ね……。
または、「信仰してもいい宗教」に制限がかかるとかね……。
A宗教からD宗教まではいいけど、E宗教はダメ!とかね。

どちらにせよ、「何人も」って言葉が消えたら、そのあとはいくらでも解釈できちゃうんだよ。

宗教団体が政治に力を持てるようになるかもしれないよ

あのね、実はね、
「政治上の権力を行使してはならない」っていう大事な部分も削除されちゃってるのよ。
すると、特定の宗教団体が政治家や政党とくっついて政治に力を持つことも、
違憲にならない、つまり問題ないよってなるってわけ。

そうなっちゃうと、宗教の中立性、まるっとなくなるよね。
「例えば、国民がキリスト教を信じてもいいじゃん?」
って軽く考えてる人もいるかもしれないけど、

実際はね、政策が特定の宗教団体の意向に沿うようになるの。
つまり、宗教団体の教えが「公益及び公の秩序」になっちゃうってこと。
それって、もはや日本の人たちがみーんな、その宗教の信者になるようなもんだよ。
税金だって、実質献金みたいなものになるし。

これ、めっちゃ危険だよね。民主主義ってものが、なくなっちゃうかも。

ちなみに今、自民党を含む政治家たちが
「結婚すべき」「家庭を大切に(個人じゃなくてね)」「同性婚はダメ」
って言ってるの、実は統一教会の考え方なのよ。
これって、もしかしてだけど、世界平和統一家庭連合(統一教会)の力を合法化したいのかもね?

国が宗教活動に関与できるようになっちゃう!

今の憲法の第3項ではね、
「宗教教育やその他の宗教活動を、国やその機関はしてはいけない」
とはっきり決められているの。
例えば行政官庁や大臣、地方公共団体、そこで働く人たちがこれに当てはまるわけ。

でも、改憲草案だと、「国と地方自治体その他の公共団体」とかって、もっと具体的に「指定」しているの。

これがどうなるかっていうとね、

例えば総理大臣が個人的に宗教活動をしていたことを
「総理大臣として」堂々とやれるようになるかもしれないってこと。
「団体じゃないから」「私はその機関には属していない」みたいな言葉遊びで、
政治家が宗教活動に関与することが可能になってしまうの。やばいよ。

「特定の宗教」っていう言葉の使い方が…?

現行の憲法は宗教全般について言及してるんだけど、
改憲草案では「特定の宗教」という表現に変わってるの。

「特定の宗教のための教育やその他の宗教的活動はダメ」ってすると、
それは実は「特定じゃない宗教ならいいよ」っていう逃げ道を作れちゃうわけ。

それだけじゃなく、「特定の宗教のためではない」という名目で、
国が教育に関与できるようになる可能性が出てくるの。

こうなると、色んな屁理屈をこねられるようになるんだよね。
そういう変な抜け道を作りやすい文章にしたらだめなんだ。

国による宗教関連活動が「無制限」になるかもしれない!

改憲草案にはね、
「社会的儀礼や習俗的行為を超えない範囲では、問題ない」
という文章が追加されているの。

どういうことかっていうとね。

今の憲法ではね、国や地方公共団体による宗教活動や教育はダメだってことが原則なの。キホンなの。

でも裁判で、例外的に認められるケースもあるのよ。
たとえば、市が持ってる体育館建設のために、
地鎮祭の費用を出すことは問題じゃないか?
って裁判があったこともあるんだ。
(地鎮祭ってのは、ほら、家を建てる前になんかお祈りしたりするじゃない?あれよ、あれ)
この時は、宗教的意義や援助、助長とは関係ないから違憲じゃないって判断された。
でもこれも「例外」ってことでの判決だったの。

ところが改憲草案だと、この「原則と例外」が逆転しちゃうの。
認めることが普通になって、裁判で検証する必要もなくなるってこと。

もし「社会的儀礼や習俗的行為の範囲」を時の政権が決めたり、
うちら国民の意見をそっちに持っていけたりすると、
国がどんどん宗教活動に関わることが問題なくなる可能性が出てくる。

つまり、国が宗教に関わることにブレーキをかけるものがなくなりかねないってこと。
信者を動員して票を集めることも、「習俗的行為」として正当化されちゃうかもしれないんだよ。

あとがき

問題点、長かったかも。ごめんね!
まとめるとね、改憲草案はこの立場を逆転させちゃってるってことなんだ。

現在の憲法は国民の宗教の自由を守りつつも、宗教的思想を政治に持ち込まないようにしてるの。
一方で、改憲草案は国民の宗教の自由を制限し、かつ、宗教的思想を政治に持ち込めるようにしているの。

日本は多様な宗教が共存しているから、今はあまり実感ないかもしれないけど、
改憲されたら、特定の宗教の教えが政治に深く関わるようになる可能性が高いんだ。
気づかないうちに、私たちもその宗教の信者にされかねない。
税金が実質的な献金となる状況も出てくる。

そして、宗教の教えに反する人は「公益及び公の秩序」に反するとされるかもしれない……。

うちは、日本がそんな国になることをまったく望んでいないよ。

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