
たとえばさ、あなたがある会社で働いてるとして。
でもその会社が
どんなふうにお金を使ってるのか全然わからなかったら
ちょっと不安じゃない?
「売上は順調です!」って言ってるけど、
実は高級車ばっか買ってたらどうする?
交際費にばっかり使っていたら?
社員としては、
「おいおい、ちゃんと報告してよ!」って思うよね。
実は、国っていうのも
「みんなで運営してる超巨大な会社」みたいなもので、
国民はその株主であり、納税者であり、社員でもあるわけ。
だからこそ、
「国のお金の使い道を、国民にもちゃんと報告してね」
ってルールが憲法に書かれてるんだよ。
それが今回紹介する「憲法第91条」。
これについて、天使くんと悪魔くんが話してくれているから、
是非最後まで読んでいってね!
第91条【財政状況の報告】
内閣は、国会及び国民に対し、定期に、少くとも毎年一回、国の財政状況について報告しなければならない。

悪魔くん、今日は日本国憲法第91条について話そう!
まずはさ、意訳してみてよ

内閣ってやつは、国のカネの出入りがどうなってんのか、
国会とか国民にちゃんと報告しろって話だ。
しかも「最低でも年に1回はやれ」って決まりだぜ。

うんうん、いいね!

税金を納めてる国民には、
お金の使い道を知るという当然の権利があるからね。

でもよ、正直言って「国会」にはまだしも、
「国民」にまで報告って必要か?
みんな興味ねーだろ。どうせ資料見ないんだし。

たしかに、普段は見ない人も多いかもね。
でも、報告されること自体に意味があるんだよ。
「いつでも見られるようになってる」ってだけで、
政治の透明性が保たれるからね。

ふーん……
じゃあ、「見ようと思えばいつでも見ることができる」
ってのが大事ってことか。
でもさー、そうはいってもさ。
国会だけでチェックしてりゃ充分なんじゃね?

それだとダメなんだよ。
国会のチェックってのは、あくまでも「代表者を通した監視」。
国民が直接情報を得られるってのは
「国民のみんなに監視されてる意識」を保つ効果があるんだ。
国会がちゃんと仕事をしているか?というのも、ね。

うーん……意識の問題ってのは、まぁわかるけどよ、
でも実際には、報告書とかPDFで出されても読まねぇよな。
だったら「国民」ってわざわざ書かなくてもよくね?
ほら、改憲草案でも「国民」は外されてたろ?

そう、外されている。
それが危ないんだ。
「国民への報告」が憲法から消えたら、
あとから法律で「報告しなくていいこと」にされるかもしれない。
そしたら、政府の好き放題じゃないか。

でもさ、政治家たちも悪いことばっかしてるわけじゃないだろ?
信頼して任せりゃいいんじゃねーの?

うん、信頼も大事だよ。
でも、それって「情報が公開されている」からこそできることなんだ。
何をやってるかわからない相手を、信頼なんてできないでしょ?

たしかにな……
見られてると思えば、ヘンなことしづらいしな。
カンニング防止に監視カメラつけるみたいなもんか。

そのたとえ、ぴったりだね(笑)
だから憲法は、「最低でも年に1回は報告しなさい」って
はっきり書いてる。
それも「国会と国民の両方に」って。

民主主義って、
「国民が知って、考える」ことから始まるからね。

……なるほどな。
じゃあ、第91条ってのは超簡単に言やぁ、
「税金の使い道を国民が見張る権利」ってことか。

そう、よくわかってきたね。
国のお金は、国民のお金。
それをちゃんと報告してもらうのは、当たり前のことなんだよ。
まとめ
憲法第91条は、一見地味に見える条文かもしれませんが、
実は「国のお金の使い道を、国会だけでなく国民にもきちんと知らせなさい」と定めた、とても重要なルールです。
私たちが毎日払っている税金が、どんなふうに使われているのか。
それを「知ることができる」。
この当たり前のようでありがたい仕組みが、憲法で守られているのです。
悪魔の言うとおり、たしかに多くの人が財政報告を細かく読むわけではないかもしれません。
でも、知ろうと思ったときに情報にアクセスできること、
そして「ちゃんと見られている」という前提で政府が行動することは、
民主主義において欠かせない土台です。
だからこそ、この第91条を読み解くことは、
私たち自身の暮らしを支える「お金の流れ」と、「知る権利」の意味を改めて見つめる機会にもなります。

ちなみに今は、年に1回どころか
3ヶ月に1回は必ず資料を公開するように、
と法律で定められているんだ!
