
「えっ、無罪だったのに捕まってたの!?」
そんなニュース、時々目にしませんか?
たとえば…
何もしていないのに犯人扱いされて、警察に連れて行かれて、長い間拘束されて……
でも、裁判で「この人は無実です」ってなった。
でも、その間に、仕事を失ったり、信用をなくしたり、周りの目が変わってしまったら?
実は、日本国憲法には、
「無実なのに捕まってしまった人は、国に補償を求められるよ」
というルールが、ちゃんと書かれているんです。
今回はそんな【第40条】について天使くんと悪魔くんが話してくれているから、是非最後まで読んでいってね!
第40条【刑事補償】
何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。



悪魔くん、今日は日本国憲法第40条について話そう!
まずはさ、意訳してみてよ



ムショに入れられちまったけど、無罪になった奴は、国にその分の補償金、つまりお金を請求できるって話だ。法律に書いてある範囲でな。



すまんかったって国に言わせるってやつな〜。



うん、だいたい合ってるよ。
でも、「すまんかった」ってそんな軽い話じゃないからね?
自由も、時間も、名誉も、人間としての尊厳も奪われてしまうんだから。



でもよ、そんなこといちいち補償してたら大変じゃねぇか?
間違えたとはいえ、警察とか検察が動いたんだろ?
ちゃんと疑わしき理由があったんじゃねえのか?



それでも「無罪」って判決が出たなら、その人は最初から罪を犯してなかったってことになるんだ。
つまり、まったくの無実だったのに、逮捕されて、拘束されてしまった。
それって絶対にあってはならないことだよね。



「いちいち補償」しなきゃいけないほど起こったらいけないことだよ、そもそも。



ふん……
まぁ、確かにムショにブチ込まれて、あとから「やっぱ違ったわー」って言われても、人生は戻らねえもんな。



でしょ?
その取り返しのつかない時間に対して、少しでも償いをしようっていうのが、この第40条なんだよ。
しかもこれはお願いじゃなくて、憲法で認められた権利なんだ。



でも国の方から勝手に金くれるわけじゃないんだろ?
結局、自分から「ください」って言わなきゃなんねえんだろ?



その通り。
「刑事補償法」っていう法律があってね。
無罪が確定した日から“3年以内”に申請する必要があるんだ。
知らなければ請求し損ねることもある。
だからこそ、知っておくことが大切なんだよ。



3年?短けえな。
そんなん、そういうことができるって知る前に3年が経ってしまうこともありそうじゃないか。



ちゃんとした弁護士さんがついていれば、そこも含めて教えてくれる。制度はあっても、知らなきゃ意味がないからね。



こういうのは、法律を作った人たちがかなり卑怯だなあとは思うけどね…。



心の声が漏れてるぞ。
まぁそうだよな、無罪が確定したら、国は速やかに補償するって法律にすればよかったのにな。
そうしなかったのは、権力者側の浅ましさからだよな。



で、肝心の補償はどのぐらいなんだ?



これも法律に決まってるんだけど、1日あたり1,000円から12,500円の間かな。



もし死刑が執行されてから無実が判明したような場合には、最大で3,000万円まで認められるケースもあるんだ。



うわ……死刑執行されたあとに「無実でした」って、それシャレになんねえな……



うん。本来なら絶対にあってはいけないこと。
でも、だからこそ、国が責任を持って「補償する」という仕組みが必要なんだ。
人を拘束するって、それほど重たいことなんだよ。



まぁ、確かに間違えることもある。
だったら間違えた時にちゃんとケジメをつけるってのは……筋は通ってるな。



第40条は、無実の人が国家によってこうむった被害を少しでも回復するための「最後のお守り」みたいなものなんだ。



正直、それでも権力者側は絶対に「間違いを認めたくない」感じばかりだけどな。
法律にしろ、結局はお前が言ってこい、俺からは補償したくねぇって感じじゃないか。



そういう政治家たちを選んでいった人間たちの責任でもあるけどね。法律にはたくさん課題があるよ、正直。



でも、それでも、この憲法のおかげで、被害者たちの人権も守られているってことなんだ。



憲法ってやつぁ、本当に国民一人一人の尊厳を守るぞ!そういう国を目指していくぞって気持ちでできたんだなぁ。
まとめ
たとえば、もし自分や家族、友だちが間違って警察に捕まってしまったら?
そして「やっぱり無罪でした」となったとき、何の補償もなかったら……。
そんなの、あんまりにもひどい話ですよね。
この条文はそういうときに「ちゃんと国が責任を取ります」という約束を、
憲法として書いてくれている、ということです。



ひとりの人間を拘束することにはそれだけ重いことでもあるからなんだ。
僕たちが当たり前のように感じている「自由」「人間として尊重される」ってのも全部、今の憲法によって支えられているってことが、この条文からも伝わると嬉しいな。

