この第25条は、いわゆる「生存権」について書かれています。
「健康で文化的な最低限度の生活」というのもこの第25条からです。
ここでは、簡単にわかりやすくポイントのみに絞っています。
また、記事末に詳細版の記事へのリンクも貼っていますので、
より詳しく知りたい!と思ったら、是非そちらも読んでいただけたら嬉しいです。
この第25条は、いわゆる「生存権」について書かれています。「健康で文化的な最低限度の生活」というのもこの第25条からです。
ここでは、簡単にわかりやすくポイントのみに絞っています。
また、記事末に詳細版の記事へのリンクも貼っていますので、より詳しく知りたい!と思ったら、是非そちらも読んでいただけたら嬉しいです。
日本国憲法第25条【生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務】
原文
意訳
第25条のポイントとは?
- 国には、国民がみな人間らしく生きられるように、積極的に救済(生活保障)をする義務がある
- 現実は、詳細が明記されていないことをいいことに
「公助したくない日本人政治家」にとって都合よく解釈されている
→国が具体的な措置をしなくても別にいい、努力してみせるだけでいいという風になっている
国は、国民が最低限の生活は安心して暮らせるような社会に、「積極的に」するよう書かれています。
例えばインフラ系や医療福祉系等もこの一環ですね。
しかし、この条文にはなにをどうしなさいというような具体的なことは書かれていないため、
それを逆手にとって
「必要なら国民から訴えを起こしてくださいね、
だってなにがいいのか(何が保障となるのか)、国にはわからないですからね(へらへら)」
となってしまっています。
あくまでも「自助」としたいがために。
国はちょっとやっているふりをみせるだけですませるために。
憲法策定当初に関わっていた人たち(アメリカの人たちも含む)も、
まさかここまで日本人が他人に冷たい民族だと思っていなかったかもしれませんね。
国は、国民が最低限の生活は安心して暮らせるような社会に、「積極的に」するよう書かれています。例えばインフラ系や医療福祉系等もこの一環ですね。
しかし、この条文にはなにをどうしなさいというような具体的なことは書かれていないため、それを逆手にとって
「必要なら国民から訴えを起こしてくださいね、だってなにがいいのか(何が保障となるのか)、国にはわからないですからね(へらへら)」
となってしまっています。あくまでも「自助」としたいがために。国はちょっとやっているふりをみせるだけですませるために。
憲法策定当初に関わっていた人たち(アメリカの人たちも含む)も、まさかここまで日本人が他人に冷たい民族だと思っていなかったかもしれませんね。
この第25条がもし改憲(改正)されたら何が変わる?
今以上に、国が国民の生活や人権の最低ラインを守らなくても、
なんなら一切保障しなかったとしても何の問題もない、となってしまうことでしょう。
ひたすら「自助」で何とかしろ、という社会になります。(そこに国の存在意義は?)
今以上に、国が国民の生活や人権の最低ラインを守らなくても、なんなら一切保障しなかったとしても何の問題もない、となってしまうことでしょう。
ひたすら「自助」で何とかしろ、という社会になります。(そこに国の存在意義は?)
まとめ
この第25条があってもなお、具体的に明記されていないことをいいことに、
今の政治家はこの条文を守ることを放棄している状態です。
誰がも、いつどうなるかわからないのです。
でも、いつどうなっても、それでも生活自体の心配はいらない、
そんな社会の方がずっといいのではないでしょうか?
※これをいうと財源という人がいますが、
日本のお金の使い方を見てもなおそれを言う?って思いますね……
この第25条があってもなお、具体的に明記されていないことをいいことに、今の政治家はこの条文を守ることを放棄している状態です。
誰がも、いつどうなるかわからないのです。でも、いつどうなっても、それでも生活自体の心配はいらない、そんな社会の方がずっといいのではないでしょうか?
※これをいうと財源という人がいますが、日本のお金の使い方を見てもなおそれを言う?って思いますね……