【日本国憲法第25条の解説】国はみんなが人間らしい生活をおくれるよう努力しなければならない

日本国憲法第25条

こちらは日本国憲法第25条の解説記事です。

この第25条が伝えたいポイントというのは……

第25条は「生存権」について書かれています。
資本主義社会はどうしても貧富の差を生みます。
また、様々な理由により社会的弱者(※)の立場にいる人たちがいます。
そういった人たちを、国は積極的に救済していきなさい、と定められた憲法です。

※社会的弱者について
障がい者、高齢者、児童……だけではなく、労働者(雇われている側)等も含まれています。
だから、労災や労働基準法、雇用保険法等ができたのです。
また、公衆衛生が整ってきたのも、
国民皆保険により国民が安心して病院にアクセスできるようになったのも、
この憲法のおかげです。

第25条は「生存権」について書かれています。資本主義社会はどうしても貧富の差を生みます。また、様々な理由により社会的弱者(※)の立場にいる人たちがいます。そういった人たちを、国は積極的に救済していきなさい、と定められた憲法です。

※社会的弱者について
障がい者、高齢者、児童……だけではなく、労働者(雇われている側)等も含まれています。だから、労災や労働基準法、雇用保険法等ができたのです。
また、公衆衛生が整ってきたのも、国民皆保険により国民が安心して病院にアクセスできるようになったのも、この憲法のおかげです。

具体的にはどういうことなのか?

そして、自民党が推し進めようとしている改憲草案の中身は?
その問題点とは?そういった解説・考察をしています。

ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しいです!

目次

日本国憲法第25条【生存権及び国民生活の社会的進歩向上に努める国の義務】

意訳

国民はみな、健康で文化的な最低限度生活、つまり人間らしい生活をおくる権利を持っている。

2
だから国は、生活の全ての面において、それができるようにしていかねばならない。
例えば、社会福祉や社会保障、公衆衛生等。

国民はみな、健康で文化的な最低限度生活、つまり人間らしい生活をおくる権利を持っている。

2
だから国は、生活の全ての面において、それができるようにしていかねばならない。例えば、社会福祉や社会保障、公衆衛生等。

原文

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本国憲法第25条を更に深堀してみよう

要点①:第25条はいわゆる「生存権」である

資本主義社会は貧富の差を、それも大きな差を生み、
多くの人々が貧困そして貧困が招くあらゆる苦しみに見舞われ続ける社会になってしまいます。
飢餓、病気になっても医療機関にかかれない、勉強ができない等々……
安心して暮らすことができませんよね。
そこに「人間らしさ」「人間としての尊厳」というものはなくなってしまいます。

そのようなことのないように。
生まれてきたからには、みなが「人間らしく」生きる権利があるのだと明文化しました。

そして、そのために、国は積極的に救済するべきだと、
最低限の生活を保障できるように努力する義務が、国にはある
のだと定めました。

これは福祉国家の理念でもあります。

資本主義社会は貧富の差を、それも大きな差を生み、多くの人々が貧困そして貧困が招くあらゆる苦しみに見舞われ続ける社会になってしまいます。飢餓、病気になっても医療機関にかかれない、勉強ができない等々……安心して暮らすことができませんよね。
そこに「人間らしさ」「人間としての尊厳」というものはなくなってしまいます。

そのようなことのないように。生まれてきたからには、みなが「人間らしく」生きる権利があるのだと明文化しました。

そして、そのために、国は積極的に救済するべきだと、最低限の生活を保障できるように努力する義務が、国にはあるのだと定めました。これは福祉国家の理念でもあります。

要点②:この生存権を土台に、どういうものができたのか?

この生存権を実現するために。
この条文を土台として、どんなものができたのでしょうか。

それは、実にたくさんあります。

国民皆保険を確立した国民健康保険法だってそうです。
誰もが、医療にすぐにアクセスしできるようにしたものです。
貧富の差を問わず、治療を誰もが受けることができる。
そうすれば、また元気になって、人間らしく生きるためのいろんなことができるでしょう。

他にも、

  • 国民年金保険法(遺族、介護、老齢、障害)
  • 雇用保険法や厚生年金保険法
  • 公衆衛生
  • 食品衛生
  • 様々な社会福祉
  • 災害補償
  • 感染症対策
  • 公害問題

等々……
こういった「保障」があるからこそ私たちは安心して暮らせるし、
何が起こっても、それでも人間らしい生活を送り続けられるのです。

この生存権を実現するために。この条文を土台として、どんなものができたのでしょうか。

それは、実にたくさんあります。

国民皆保険を確立した国民健康保険法だってそうです。誰もが、医療にすぐにアクセスしできるようにしたものです。貧富の差を問わず、治療を誰もが受けることができる。そうすれば、また元気になって、人間らしく生きるためのいろんなことができるでしょう。

他にも、

  • 国民年金保険法(遺族、介護、老齢、障害)
  • 雇用保険法や厚生年金保険法
  • 公衆衛生
  • 食品衛生
  • 様々な社会福祉
  • 災害補償
  • 感染症対策
  • 公害問題

等々……こういった「保障」があるからこそ私たちは安心して暮らせるし、何が起こっても、それでも人間らしい生活を送り続けられるのです。

自分は「社会的弱者」なんかじゃない!?

自分は「弱者なんかじゃない!」と反感を抱く人もいるかもしれません。
自分は一生弱者になることなどない!と思い込んでいる人もいるかもしれません。

ですが。
上に挙げたように、誰もが何らかの保障を受けてきています。

なぜなら、「社会的弱者」というのは、誰もが当てはまることでもあるからです。
貧困家庭に生まれた、障害者、妊婦、乳幼児、高齢者……だけではありません。

労働者も。「雇われている側」の人はみな「社会的弱者」となります。
病人も怪我人も。被災者も。

ですので、「社会的弱者」という言葉に反感を抱くのであれば、
「位置関係次第によっては立場が弱くなる人」「何かしらの保障がないと、不利益を被りやすい側の人」
のことなのだと考えていただければと思います。

  • 雇用される側と雇用する側
  • 病人や怪我人と医療機関や一般社会
  • 被災者とその他の人
  • お料理を提供される側とする側
    (外食だけではなく、販売されている食べ物等)
  • 工場周辺で生活する人々と工場を持つ会社

等々。

もし右側の「与える側」が、傍若無人にふるまい自分の利益の事だけを考えていたら。
それを国が「それもまた自由だから」と、何もかも放っておいていたら。
左側の「受ける側」は不利益を被りやすい立場にいるということはわかっていただけると思います。

だからこそ、この生存権は「すべての人々」にとって大切なものなのです。

自分は「弱者なんかじゃない!」と反感を抱く人もいるかもしれません。自分は一生弱者になることなどない!と思い込んでいる人もいるかもしれません。

ですが。上に挙げたように、誰もが何らかの保障を受けてきています。

なぜなら、「社会的弱者」というのは、誰もが当てはまることでもあるからです。貧困家庭に生まれた、障害者、妊婦、乳幼児、高齢者……だけではありません。

労働者も。「雇われている側」の人はみな「社会的弱者」となります。病人も怪我人も。被災者も。

ですので、「社会的弱者」という言葉に反感を抱くのであれば、「位置関係によっては立場が弱くなる人」「何かしらの保障がないと、不利益を被りやすい側の人」のことなのだと考えていただければと思います。

  • 雇用される側と雇用する側
  • 病人や怪我人と医療機関や一般社会
  • 被災者とその他の人
  • お料理を提供される側とする側
    (外食だけではなく、販売されている食べ物等)
  • 工場周辺で生活する人々と工場を持つ会社

等々。

もし右側の「与える側」が、傍若無人にふるまい自分の利益の事だけを考えていたら。それを国が「それもまた自由だから」と、何もかも放っておいていたら。左側の「受ける側」は不利益を被りやすい立場にいるということはわかっていただけると思います。

だからこそ、この生存権は「すべての人々」にとって大切なものなのです。

要点③:「「健康で文化的な最低限の生活」は誰が決めるのか?

ところで「健康で文化的な最低限の生活」というのは、誰が決めるのでしょうか?
この様々な保障は、一体どこまで適用されるものなのでしょうか?
この憲法に基づいて制定された法律は、どこまで私たちを守るのか?というのは
何によって判断されるものなのでしょうか?

実は、これは残念ながら

「国家には努力義務以上のものは定めていない。
 国民の生存を確保すべき政治的・道義的義務を国に課したにとどまり、
 個々の国民の具体的権利を保障したものではない」

という「プログラム規定説」が最初は唱えられていました。

これは結局は
「最初は自助でどうにか頑張ってください、どうしようもなくなった時に国が助けるかもしれません」
「必ずしも国民全員に最低限を生活を保障しなけばならないわけではない。
 努力はするけどね?努力はしているんだよ?だからいいじゃん?」
と言っているに等しいようなものです。

これは憲法25条には具体的な方法や範囲が書かれていないからということが理由とのことです。

ですが、それだと憲法でわざわざ生存権を明記にしたにもかかわらず、
その意味がなくなってしまいますよね。

そこで、生存権の権利性を強調するために出てきたもう一つの学説、
通説となっているのが「抽象的権利説」です。

これも第25条に基づいて訴えることはできないのですが、
生存権を具体化する法律があれば、それに対して訴えることは可能であるとした解釈です。
今はこちらが一般となっているようです。
生存権は抽象的なものであるからということにより「抽象的権利説」と言われています。

しかし、それでは憲法の意味がないのでは?
ということから唱えられている説が「具体的権利説」です。

これは、そもそも憲法で保障されている具体的な権利のはずだ、
だから、必要な法律を作らないという状態がそもそも憲法に違反しているのでは?とする説のことです。

「法律が制定されていなくても、憲法25条を直接の根拠にして、立法不作為の違憲確認訴訟
(必要な法律を作らない状態が憲法に違反しているという確認を求める訴訟)を起こせる」
という主張です。

生存権は憲法25条で保障されている具体的な権利だから、
法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟を起こせるという考え方に基づいています。
この具体的権利説は少数派です。

改めてまとめます。

プログラム規定説

生存権は、あくまでも憲法25条によって国に対して努力するよう要求しているだけである。
国民が国に対して具体的な措置を求められる権利ではない。
国も「努力すればいい」のであり、保障すべきというわけではない。

→最初はこちらが通説でした。

抽象的権利説

「生存権」というのは抽象的なものであるがゆえに、
憲法25条を直接の根拠にして裁判所に訴えることはできない。
しかし、憲法25条に基づいた具体的な法律が制定されていれば、それを基に訴えることができる。
(具体的な措置を求めることができる)

→今はこちらが通説となっています。
 なお、権利を求めて訴えることはできるが、勝てるかどうかはまた別問題です。

具体的権利説

憲法で定められているのだから「生存権」は具体的な権利である。
なのに、それに基づいた法律がない状態が違憲ではないのか?という考えである。
よって、憲法25条そのものを根拠として訴えを起こすことができる、という説。

→少数派。

ところで「健康で文化的な最低限の生活」というのは、誰が決めるのでしょうか?この様々な保障は、一体どこまで適用されるものなのでしょうか?この憲法に基づいて制定された法律は、どこまで私たちを守るのか?というのは何によって判断されるものなのでしょうか?

実は、これは残念ながら

「国家には努力義務以上のものは定めていない。国民の生存を確保すべき政治的・道義的義務を国に課したにとどまり個々の国民の具体的権利を保障したものではない」

という「プログラム規定説」が最初は唱えられていました。

これは結局は「最初は自助でどうにか頑張ってください、どうしようもなくなった時に国が助けるかもしれません」「必ずしも国民全員に最低限を生活を保障しなけばならないわけではない。努力はするけどね?努力はしているんだよ?だからいいじゃん?」と言っているに等しいようなものです。

これは憲法25条には具体的な方法や範囲が書かれていないからということが理由とのことです。

ですが、それだと憲法でわざわざ生存権を明記にしたにもかかわらず、その意味がなくなってしまいますよね。

そこで、生存権の権利性を強調するために出てきたもう一つの学説、通説となっているのが「抽象的権利説」です。

これも第25条に基づいて訴えることはできないのですが、生存権を具体化する法律があれば、それに対して訴えることは可能であるとした解釈です。

今はこちらが一般となっているようです。生存権は抽象的なものであるからということにより「抽象的権利説」と言われています。

しかし、それでは憲法の意味がないのでは?ということから唱えられている説が「具体的権利説」です。

これは、そもそも憲法で保障されている具体的な権利のはずだ、だから、必要な法律を作らないという状態がそもそも憲法に違反しているのでは?とする説のことです。

「法律が制定されていなくても、憲法25条を直接の根拠にして、立法不作為の違憲確認訴訟(必要な法律を作らない状態が憲法に違反しているという確認を求める訴訟)を起こせる」という主張です。

生存権は憲法25条で保障されている具体的な権利だから、法律がなくても、直接25条に基づいて訴訟を起こせるという考え方に基づいています。この具体的権利説は少数派です。

改めてまとめます。

プログラム規定説

生存権は、あくまでも憲法25条によって国に対して努力するよう要求しているだけである。国民が国に対して具体的な措置を求められる権利ではない。国も「努力すればいい」のであり、保障すべきというわけではない。

→最初はこちらが通説でした。

抽象的権利説

「生存権」というのは抽象的なものであるがゆえに、憲法25条を直接の根拠にして裁判所に訴えることはできない。しかし、憲法25条に基づいた具体的な法律が制定されていれば、それを基に訴えることができる。(具体的な措置を求めることができる)

→今はこちらが通説。
 なお、権利を求めて訴えることはできるが、勝てるかどうかはまた別問題。

具体的権利説

憲法で定められているのだから「生存権」は具体的な権利である。なのに、それに基づいた法律がない状態が違憲ではないのか?という考えである。よって、憲法25条そのものを根拠として訴えを起こすことができる、という説。

→少数派。

この第25条の改憲草案はどんな内容?

自民党はこの第25条をどのように改憲しようとしているのでしょうか。
そして、その問題点とは?
簡単にいうと、以下の通りです。

何をどう変えようとしている?

3つ新設されました。

  1. 良好な環境の保全
  2. 在外国民の保護
  3. 犯罪被害者やその家族への配慮

新設された条文の中に「国民と協力して」という言葉も入っています。

問題点は?

この条文だけで考えるよりは、他の条文とも関連させて考えると、浮き上がってくる問題点があります。
他の条文にて、現憲法の「公共の福祉」という言葉を「公益及び公の秩序」へ変更し、
基本的人権に制限をかけようとしてきています。

このことから、この第25条生存権についても制限がかかる、
つまり「公益及び公の秩序」に従う人以外の生存権は保障されなくなるでしょう。
また、国に協力することが憲法に明記されたことにより、国民に拒否権がなくなります。
※例えば環境の保全のために〇〇に行ってくださいと言われた時、拒否権がない可能性が高いです。

何をどう変えようとしている?

3つ新設されました。

  1. 良好な環境の保全
  2. 在外国民の保護
  3. 犯罪被害者やその家族への配慮

新設された条文の中に「国民と協力して」という言葉も入っています。

問題点は?

この条文だけで考えるよりは、他の条文とも関連させて考えると、浮き上がってくる問題点があります。他の条文にて、現憲法の「公共の福祉」という言葉を「公益及び公の秩序」へ変更し、基本的人権に制限をかけようとしてきています。

このことから、この第25条生存権についても制限がかかる、つまり「公益及び公の秩序」に従う人以外の生存権は保障されなくなるでしょう。また、国に協力することが憲法に明記されたことにより、国民に拒否権がなくなります。
※例えば環境の保全のために〇〇に行ってくださいと言われた時、拒否権がない可能性が高いです。

改憲草案の原文を紹介します。そして具体的に考察もしてみました

改憲草案原文:第25条

※赤文字が変更箇所です。

(生存権等)
全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2
国は、すべての生活部面について 国民生活のあらゆる側面において、
社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

※以降は新設

(環境保全の責務)
第25条の2
国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

(在外国民の保護)
第25条の3
国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

(犯罪被害者等への配慮)
第25条の4
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

(生存権等)
全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2
国は、すべての生活部面について 国民生活のあらゆる側面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

※以降は新設

(環境保全の責務)
第25条の2
国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

(在外国民の保護)
第25条の3
国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

(犯罪被害者等への配慮)
第25条の4
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

改憲草案の問題点①:念頭においてほしいこと

改憲草案にて、この第25条に新設されている問題点を考えていく前に……
憲法というのはすべてが繋がっているものです。

この第25条も、他の条文ともつながっています。

この第25条にあたって念頭においてほしいのは、
例えば第12条の改憲草案。

「公共の福祉」という言葉が「公益及び公の秩序」に置き換えられており、
「反してはならない」とされています。

公共の福祉というのはいわば、みんなが安心して暮らせる社会のことです。
個人と個人が衝突した時は、何をどこまで許すのか?という調整や働きかけをしていきます。
第12条の記事にて、例も挙げながら解説しています。

一方「公益及び公の秩序」というのは、その名の通り、国の利益・国の求める秩序のことです。

そしてもうひとつ。
私たちの基本的人権は、
現憲法では「生まれながらにして、無条件で」持っているものとされています。

それが、改憲草案では「国(国家)が与えてやっているもの」となっています。

そして
「基本的人権が欲しければ国の利益になるように動け、国の求める秩序に逆らうな」
としているのです。

これを念頭において、以下の問題点の考察を読み進めていただければと思います。

改憲草案にて、この第25条に新設されている問題点を考えていく前に……憲法というのはすべてが繋がっているものです。この第25条も、他の条文ともつながっています。

この第25条にあたって念頭においてほしいのは、例えば第12条の改憲草案。

「公共の福祉」という言葉が「公益及び公の秩序」に置き換えられており、「反してはならない」とされています。

公共の福祉というのはいわば、みんなが安心して暮らせる社会のことです。個人と個人が衝突した時は、何をどこまで許すのか?という調整や働きかけをしていきます。→第12条の記事にて、例も挙げながら解説しています。

一方「公益及び公の秩序」というのは、その名の通り、国の利益・国の求める秩序のことです。

そしてもうひとつ。私たちの基本的人権は、現憲法では「生まれながらにして、無条件で」持っているものとされています。それが、改憲草案では「国(国家)が与えてやっているもの」となっています。

そして「基本的人権が欲しければ国の利益になるように動け、国の求める秩序に逆らうな」としているのです。

これを念頭において、以下の問題点の考察を読み進めていただければと思います。

改憲草案の問題点②:「生存権」は国民よりも国の都合を優先して決める

問題点①で説明したことから、基本的に国は国民の「生存権」を認める気はないということは推察できます。
これが最大の問題点です。

公益及び公の秩序に反する場合等、国の都合で国民の人権を侵害しても問題ないようになっているのですから、

また、国が「今は国難だ、それどころではない」として、
国民の生活を、人間らしい生活を保障しなくても違憲にならなくなってしまいます。

「欲しがりません、勝つまでは」を強制させてもいいことになってしまうでしょう。

さて、ここからの問題点③~⑤は新設条文です。
これらに関して、自民党は以下のように述べています。

国を主語とした人権規定としています。
これらの人権は、まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していないことから、
まず国の側の責務として規定することとしました。

(日本国憲法改正草案Q&A増補版より引用)

「国の側の責務として」という言葉に注目しつつ、問題点③に進みます。

また、新設されている3つの条文については「法律で対応可能なはず」のものですので、
それをなぜ「憲法化しようとしてるのか」ということをベースとして考察しています。

問題点①で説明したことから、基本的に国は国民の「生存権」を認める気はないということは推察できます。これが最大の問題点です。公益及び公の秩序に反する場合等、国の都合で国民の人権を侵害しても問題ないようになっているのですから、

また、国が「今は国難だ、それどころではない」として、国民の生活を、人間らしい生活を保障しなくても違憲にならなくなってしまいます。「欲しがりません、勝つまでは」を強制させてもいいことになってしまうでしょう。

さて、ここからの問題点③~⑤は新設条文です。これらに関して、自民党は以下のように述べています。

国を主語とした人権規定としています。これらの人権は、まだ個人の法律上の権利として主張するには熟していないことから、まず国の側の責務として規定することとしました。

(日本国憲法改正草案Q&A増補版より引用)

「国の側の責務として」という言葉に注目しつつ、問題点③に進みます。

また、新設されている3つの条文については「法律で対応可能なはず」のものですので、それをなぜ「憲法化しようとしてるのか」ということをベースとして考察しています。

改憲草案の問題点③:国の都合で決められる環境権に、国民が協力させられる

(環境保全の責務)※新設
第25条の2
国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。

まず「環境権」とは?

実は「環境権」という、現憲法制定後に提唱された新しい人権があります。

これは、高度経済成長期の弊害として起こった「公害問題」を受けて、
新しく考えられるようになったものです。

というのも、企業活動によって多くの自然が破壊され、
そこから大気汚染や水質や土壌の汚染等が起こり、
そして私たちの生命や健康が脅かされることとなりました。

そういったことへの反省、
そして対応や予防を求める権利として「環境権」が提唱されるようになったのです。

なお、この「環境権」の範囲、つまり「良い環境とは何か?」に関しては、
「自然的な環境(大気や水、日照など)に限る」が多数説となっています。

この条文の何が問題なのか?

この条文において考えられる問題点は、大きく分けて2つあります。

  1. 「国の責務」としたことにより、国がその範囲を決めることができてしまう

    国の責務として環境を保全することを制定します、としているということは、
    これは「国の責務だと決めた範囲においてのみ、対応します」ということにもなるわけです。

    また「環境権」という言葉を使わずに「環境保全の責務」としていることからも、
    国民の人権とせずに、あくまでも国側の権利だと位置づけたいのだろうということは推察できます。

    そうすることで、何を保全して、何を保全しないか。
    それを決めるのはすべて「国側」が決めることができるということを
    実質憲法上にて位置付けることができてしまうということにもなりかねません。

    ※訴訟を起こした場合、裁判所がどう解釈するかに委ねられることになりますが、
     「国の責務として~」というのを理由にしている以上、覆すのはかなり難しいでしょう。

  2. 国民もまた、国の要請があれば国に協力しなければならない

    「国は、国民と協力して」とありますが、これは逆に「国民は、国と協力して」ともなるものです。

    というのも、問題点①で述べたように、憲法改正草案では
    「公益及び公の秩序」を基本としているからです。

    そして、国が国民と協力しなければならないということは、
    国民の協力を求めないことが違憲となるので、国民に協力を要請してきます。
    ですが、「公益及び公の秩序」を理由してくれば、そこに国民が協力を拒否することはできません。

実は「環境権」という、現憲法制定後に提唱された新しい人権があります。

これは、高度経済成長期の弊害として起こった「公害問題」を受けて、新しく考えられるようになったものです。

というのも、企業活動によって多くの自然が破壊され、そこから大気汚染や水質や土壌の汚染等が起こり、そして私たちの生命や健康が脅かされることとなりました。

そういったことへの反省、そして対応や予防を求める権利として「環境権」が提唱されるようになったのです。

なお、この「環境権」の範囲、つまり「良い環境とは何か?」に関しては、「自然的な環境(大気や水、日照など)に限る」が多数説となっています。

この条文の何が問題なのか?

この条文において考えられる問題点は、大きく分けて2つあります。

  1. 「国の責務」としたことにより、国がその範囲を決めることができてしまう

    国の責務として環境を保全することを制定します、としているということは、これは「国の責務だと決めた範囲においてのみ、対応します」ということにもなるわけです。

    また「環境権」という言葉を使わずに「環境保全の責務」としていることからも、国民の人権とせずに、あくまでも国側の権利だと位置づけたいのだろうということは推察できます。

    そうすることで、何を保全して、何を保全しないか。それを決めるのはすべて「国側」が決めることができるということを実質憲法上にて位置付けることができてしまうということにもなりかねません。

    ※訴訟を起こした場合、裁判所がどう解釈するかに委ねられることになりますが、「国の責務として~」というのを理由にしている以上、覆すのはかなり難しいでしょう。

  2. 国民もまた、国の要請があれば国に協力しなければならない

    「国は、国民と協力して」とありますが、これは逆に「国民は、国と協力して」ともなるものです。

    というのも、問題点①で述べたように、憲法改正草案では「公益及び公の秩序」を基本としているからです。

    そして、国が国民と協力しなければならないということは、国民の協力を求めないことが違憲となるので、国民に協力を要請してきます。ですが、「公益及び公の秩序」を理由してくれば、そこに国民が協力を拒否することはできません。

改憲草案の問題点④:取材・報道の自由が奪われるかもしれない

(在外国民の保護)※新設
第25条の3
国は、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

正直、この条文の問題点は浮かばなかったのですが、
色々調べていたところへ、戦場記者のパスポート没収事件が飛び込んできました。

「目的はもしかしたらこれなのか?」と結びついたものがあります。

それは「取材や報道の自由を奪うこと」が目的なのでは?ということです。

戦場記者のパスポート没収事件においては、正当な理由はなかったようです。

関係のない理由のでっちあげ。異常な手続きの連続。
一度入国許可を出している国に対して、手をまわして拒否させ、それを理由とする取り上げ。
あらゆることが国際ルールから逸脱していたため、
世界の報道関係団体や人道援助機関が日本政府へ批判の声明を行ったほどです。

戦地ど真ん中へ飛び込んでの取材を表明していたからやむなく没収したとかならまだ理解もできるでしょう。
しかし、彼らは「戦地への取材ではなく、その周辺や人道支援に関する取材」が目的だと表明していました。
ですので、現実的に没収する理由はないのですよね。

このことから考えると。

この条文を根拠として、国民の、特にジャーナリストたちの動きを制限しようとしてるのではないかと。
日本の国民に知られたくないことを取材されないように。

国民の知る自由、取材・報道の自由を奪うことが目的でしょう。

なお、こういったパスポート没収、いわば個人を狙い撃ちした渡航禁止が違憲とならないように、
他の条文も用意周到に改正しようとしてきています。
公益及び公の秩序という言葉を使ってきていること、
そして、例えば「第22条:居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」の改正です。

そうすることで、
「公益に反している、つまり国に不利益をもたらす報道をしかねない人は渡航禁止にする」
ことを、国が堂々とできるようになってしまうのです。
憲法で認めてしまうのですから。

そうすれば、世界の動きや本当のこと、日本がうらでなにをしているのかを、
私たちはますます知ることができなくなってしまいます。
それは国(自民党をはじめとする国家権力)には非常に都合がいいことです

その末路は……

正直、この条文の問題点は浮かばなかったのですが、
色々調べていたところへ、戦場記者のパスポート没収事件が飛び込んできました。

「目的はもしかしたらこれなのか?」と結びついたものがあります。

それは「取材や報道の自由を奪うこと」が目的なのでは?ということです。

というのも、戦場記者のパスポート没収事件においては、正当な理由はなかったようなのです。

関係のない理由のでっちあげ。異常な手続きの連続。
一度入国許可を出している国に対して、手をまわして拒否させ、それを理由とする取り上げ。
あらゆることが国際ルールから逸脱していたため、
世界の報道関係団体や人道援助機関が日本政府へ批判の声明を行ったほどです。

戦地ど真ん中へ飛び込んでの取材を表明していたからやむなく没収したとかならまだ理解もできるでしょう。
しかし、彼らは「戦地への取材ではなく、その周辺や人道支援に関する取材」が目的だと表明していました。
ですので、現実的に没収する理由はないのですよね。

このことから考えると。

この条文を根拠として、国民の、特にジャーナリストたちの動きを制限しようとしてるのではないかと。
日本の国民に知られたくないことを取材されないように。

国民の知る自由、取材・報道の自由を奪うことが目的でしょう。

なお、こういったパスポート没収、いわば個人を狙い撃ちした渡航禁止が違憲とならないように、
他の条文も用意周到に改正しようとしてきています。
公益及び公の秩序という言葉を使ってきていること、
そして、例えば「第22条:居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」の改正です。

そうすることで、
「公益に反している、つまり国に不利益をもたらす報道をしかねない人は渡航禁止にする」
ことを、国が堂々とできるようになってしまうのです。
憲法で認めてしまうのですから。

そうすれば、世界の動きや本当のこと、日本が裏でなにをしているのかを、
私たちはますます知ることができなくなってしまいます。
それは国(自民党をはじめとする国家権力)には非常に都合がいいことです。

その末路は……

正直、この条文の問題点は浮かばなかったのですが、色々調べていたところへ、戦場記者のパスポート没収事件が飛び込んできました。

「目的はもしかしたらこれなのか?」と結びついたものがあります。

それは「取材や報道の自由を奪うこと」が目的なのでは?ということです。というのも、戦場記者のパスポート没収事件においては、正当な理由はなかったようなのです。

関係のない理由のでっちあげ。異常な手続きの連続。一度入国許可を出している国に対して、手をまわして拒否させ、それを理由とする取り上げ。あらゆることが国際ルールから逸脱していたため、世界の報道関係団体や人道援助機関が日本政府へ批判の声明を行ったほどです。

戦地ど真ん中へ飛び込んでの取材を表明していたからやむなく没収したとかならまだ理解もできるでしょう。しかし、彼らは「戦地への取材ではなく、その周辺や人道支援に関する取材」が目的だと表明していました。ですので、現実的に没収する理由はないのですよね。

このことから考えると。

この条文を根拠として、国民の、特にジャーナリストたちの動きを制限しようとしてるのではないかと。日本の国民に知られたくないことを取材されないように。

国民の知る自由、取材・報道の自由を奪うことが目的でしょう。

なお、こういったパスポート没収、いわば個人を狙い撃ちした渡航禁止が違憲とならないように、他の条文も用意周到に改正しようとしてきています。公益及び公の秩序という言葉を使ってきていること、そして、例えば「第22条:居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」の改正です。

そうすることで、「公益に反している、つまり国に不利益をもたらす報道をしかねない人は渡航禁止にする」ことを、国が堂々とできるようになってしまうのです。憲法で認めてしまうのですから。

そうすれば、世界の動きや本当のこと、日本が裏でなにをしているのかを、私たちはますます知ることができなくなってしまいますそれは国(自民党をはじめとする国家権力)には非常に都合がいいことです。

その末路は……

改憲草案の問題点⑤:人権を守る気は、結局ない?

(犯罪被害者等への配慮)※新設
第25条の4
国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

現在、確かに被害者やその家族の人権は、
加害者と比べると守られていないのでは?と思うぐらいひどい状況です。
だからこのようにしたのだろうとは思います。

しかし、そうすると、疑問もわいてくるのですね。

  • 加害者側の、特に加害者の家族の人権は?
    ※加害者当人は守られても、その家族が守られていないという状況はよく見かけます
  • 「配慮」という弱い言葉を使うのはなぜ?
    人権を守る法律を整える等、なぜそのように明記しないのか?
  • 国がどのように配慮するのかが書いていないため、
    「国としては配慮した」という言い訳を与えやすくなってしまう
  • 「配慮」の範囲を国が決めても違憲ではなくなる
     →国の認識によっては、結局何も守られていない状態になりかねない

ざっと浮かんだ疑問を並べてみても、
これ、国は本気で守る気はないよね……というのがよくわかります。
他の条文からしても、国民の人権を侵害する気満々なので、さもありなんなのですが。

現在、確かに被害者やその家族の人権は、加害者と比べると守られていないのでは?と思うぐらいひどい状況です。だからこのようにしたのだろうとは思います。

しかし、そうすると、疑問もわいてくるのですね。

  • 加害者側の、特に加害者の家族の人権は? ※加害者当人は守られても、その家族が守られていないという状況はよく見かけます
  • 「配慮」という弱い言葉を使うのはなぜ?人権を守る法律を整える等、なぜそのように明記しないのか?
  • 国がどのように配慮するのかが書いていないため、「国としては配慮した」という言い訳を与えやすくなってしまう
  • 「配慮」の範囲を国が決めても違憲ではなくなる→国の認識によっては、結局何も守られていない状態になりかねない

ざっと浮かんだ疑問を並べてみても、これ、国は本気で守る気はないよね……というのがよくわかります。他の条文からしても、国民の人権を侵害する気満々なので、さもありなんなのですが。

現憲法をもう一度読む

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

2
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

後記

誰もが、年をとります。
誰もが、病気や怪我をします。
誰もが、突然文無しになり生活保護を受けなければならなくなるかもしれません。

誰もが「何があるかわからない」のです。

でも、何が起こっても、それでもやり直せる機会があれば。
でも、年を取ることを怖がることなく、むしろ「ゆっくりできる」老後を約束されていれば。

今日が辛くても、でもなにか助けてもらえる方法がちゃんとあるって思えれば。

そういったことを全て台無しにして、
国民の生きる権利を、人間らしく暮らす権利をとことん奪い取ってやろうとしているのが
改憲草案であり、今の自民党です。

どんなに政治に興味がなくても、面倒くさいって思っても、
それでも、今こそ、きちんと考え直さなければならないのではないでしょうか。

誰もが、年をとります。誰もが、病気や怪我をします。誰もが、突然文無しになり生活保護を受けなければならなくなるかもしれません。

誰もが「何があるかわからない」のです。

でも、何が起こっても、それでもやり直せる機会があれば。でも、年を取ることを怖がることなく、むしろ「ゆっくりできる」老後を約束されていれば。

今日が辛くても、でもなにか助けてもらえる方法がちゃんとあるって思えれば。

そういったことを全て台無しにして、国民の生きる権利を、人間らしく暮らす権利をとことん奪い取ってやろうとしているのが改憲草案であり、今の自民党です。

どんなに政治に興味がなくても、面倒くさいって思っても、それでも、今こそ、きちんと考え直さなければならないのではないでしょうか。

この第25条とも繋がりの深い条文は以下の通りです。
(リンクの文章は記事のタイトルではなく、関連がわかるような紹介文にしています)
興味のあるところを是非。

この第25条とも繋がりの深い条文は以下の通りです。(リンクの文章は記事のタイトルではなく、関連がわかるような紹介文にしています)
興味のあるところを是非。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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