【日本国憲法第24条の解説】同性婚を禁ずるという内容ではない

日本国憲法第24条

こちらは日本国憲法第24条の解説記事です。

この第24条が伝えたいポイントというのは……

結婚は当事者同士の意志においてのみ結婚するものであり、
周りが強制的にさせるものではありません。

昔は、親や職場等周りの人たちが相手を決めることが多かったものです。
とりわけ、女性に相手を選ぶ権利はほぼ無いに等しいものでした。

また、その他の財産権や相続等結婚・離婚にまつわる諸々な事柄も男女間で差がありました。

そういったことの反省を踏まえ。
そして現憲法では「性別等に関係なく、人間はみな平等である」という基本的人権に基づき、
婚姻に関することも「差別なく」と定められたのです。

結婚は当事者同士の意志においてのみ結婚するものであり、周りが強制的にさせるものではありません。

昔は、親や職場等周りの人たちが相手を決めることが多かったものです。とりわけ、女性に相手を選ぶ権利はほぼ無いに等しいものでした。

また、その他の財産権や相続等結婚・離婚にまつわる諸々な事柄も男女間で差がありました。

そういったことの反省を踏まえ。そして現憲法では「性別等に関係なく、人間はみな平等である」という基本的人権に基づき、婚姻に関することも「差別なく」と定められたのです。

具体的にはどういうことなのか?

そして、自民党が推し進めようとしている改憲草案の中身は?
その問題点とは?そういった解説・考察をしています。

ぜひ最後まで読んでもらえたら嬉しいです!

目次

日本国憲法第24条【家族関係における個人の尊厳と両性の平等】

意訳

結婚は、本人同士の合意のみでできる。
二人とも同じ権利を持っており、お互いが協力し合っていかなければならない。

2
法律を作る場合は、
個人一人一人が大切であること、二人は平等であるということを基本にしなければならない。
例えば、結婚相手を選ぶこと、お互いが持っている財産のこと、
相続、住む場所、離婚や結婚、家族に関すること等。

結婚は、本人同士の合意のみでできる。二人とも同じ権利を持っており、お互いが協力し合っていかなければならない。

2
法律を作る場合は、個人一人一人が大切であること、二人は平等であるということを基本にしなければならない。例えば、結婚相手を選ぶこと、お互いが持っている財産のこと、相続、住む場所、離婚や結婚、家族に関すること等。

原文

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

日本国憲法第24条を更に深堀してみよう

要点①:「二人の意志(合意)」のみで結婚できる

かつての大日本帝国憲法(明治憲法)においては「家制度」が定められていました。
この家制度というのは、

家を1つの単位とし、家長は家族全員に対して絶対的な権利を持つ制度のことです。

そして、家長は、その家で「一番年上の男性」がなるものでした。

それに伴い、この時代は、結婚さえも「家長の許し」がなければできなかったのです。
もしくは、家長が選んだ人と結婚しなければなりませんでした。
(昔の小説等に「駆け落ち」が多いのもそういう事情からです)

ですが、現憲法である日本国憲法の制定・施行に伴い、この家制度は廃止されました。

そしてようやく、「結婚したい」と思っている当人同士がお互いに合意さえしていれば、
他の誰かの、父親や祖父の許可すらとる必要はなくなったのです。

かつての大日本帝国憲法(明治憲法)においては「家制度」が定められていました。
この家制度というのは、家を1つの単位とし、家長は家族全員に対して絶対的な権利を持つ制度のことです。そして、家長は、その家で「一番年上の男性」がなるものでした。

それに伴い、この時代は、結婚さえも「家長の許し」がなければできなかったのです。もしくは、家長が選んだ人と結婚しなければなりませんでした。(昔の小説等に「駆け落ち」が多いのもそういう事情からです)

ですが、現憲法である日本国憲法の制定・施行に伴い、この家制度は廃止されました。

そしてようやく、「結婚したい」と思っている当人同士がお互いに合意さえしていれば、他の誰かの、父親や祖父の許可すらとる必要はなくなったのです。

■結婚できるのは何歳から?

2022年4月、民法が改正されたことにより、男女ともに18歳以上であれば結婚できるようになりました。

かつ、この改正と同時に「成年とする」年齢もそれまでの20歳から18歳と下げられたため、
例え18歳同士で結婚するにしても、親の合意は不要となりました。

それまでは……

女性は16歳以上、男性は18歳以上であれば結婚可。
ただし、20歳未満は親の許可が必要(婚姻届と共に、親の同意書の提出も必要)

と、このようになっていたのです。

2022年4月、民法が改正されたことにより、男女ともに18歳以上であれば結婚できるようになりました。

かつ、この改正と同時に「成年とする」年齢もそれまでの20歳から18歳と下げられたため、例え18歳同士で結婚するにしても、親の合意は不要となりました。

それまでは……

女性は16歳以上、男性は18歳以上であれば結婚可。ただし、20歳未満は親の許可が必要(婚姻届と共に、親の同意書の提出も必要)

と、このようになっていたのです。

要点②:「両性」の意味は?

この「両性」の意味。
同性婚に反対している人は、これを「男性と女性という組み合わせ」という意味に解釈しているようです。

ですが、この第24条の成り立ちからすれば、そういうわけでもなさそうです。

この条文は、人権担当だった「ベアテ・シロタ」さんが作成した草案を基に作成されたものです。
日本で暮らしたこともある彼女は、「家制度」からくる男尊女卑の事も知っていたため、
「男性も女性も人間として平等である」ことをメインとし、草案を作成しました。

そう、彼女は、それまでの日本女性の地位をひきあげ、
「個人の尊厳を守り、性別問わず人間として平等である」日本としたかったのです。
 

つまり、「男性と女性で結婚すべきだ」という思惑で作ったものではないということです。
あくまでも、「一人一人がみな人間であり、平等なのだ」とし、
それまでの家制度・男尊女卑社会からの脱却を望んだがゆえの条文です。

この視点で考えれば、同性であろうと「一人一人の人間としての合意」に基づいているのであれば、
婚姻は可能であると解釈するのが妥当なのではないかと、私は考えます。

「両性」というのは、当時(1945年~1947年)は、
世界的にも「同性同士の恋愛・結婚」への理解は全くない時代でしたから、
彼女としてもそういう意味では深く考えずにその言葉を使っただけでしょう。
(また、条文は、彼女が作成した文章通りではなく、それを憲法仕様に修正されています)

ですので、この条文で彼女が本当に伝えたかったことを無視して
「両性とあるんだから、男性と女性だ!」と解釈してしまうのは短絡的思考ではないでしょうか。
それこそ、彼女の言う「個人の尊厳・尊重、一人一人が人間として平等である」ことから
逸脱してしまっていないでしょうか。

また、同性同士の婚姻が認められないというのは、
この第24条2項にある「個人の尊厳」からも、
そして第13条個人の尊重第14条平等の原則からも外れているように思うのです。

この「両性」の意味。同性婚に反対している人は、これを「男性と女性という組み合わせ」という意味に解釈しているようです。

ですが、この第24条の成り立ちからすれば、そういうわけでもなさそうです。

この条文は、人権担当だった「ベアテ・シロタ」さんが作成した草案を基に作成されたものです。日本で暮らしたこともある彼女は、「家制度」からくる男尊女卑の事も知っていたため、「男性も女性も人間として平等である」ことをメインとし、草案を作成しました。

そう、彼女は、それまでの日本女性の地位をひきあげ、「個人の尊厳を守り、性別問わず人間として平等である」日本としたかったのです。 

つまり、「男性と女性で結婚すべきだ」という思惑で作ったものではないということです。あくまでも、「一人一人がみな人間であり、平等なのだ」とし、それまでの家制度・男尊女卑社会からの脱却を望んだがゆえの条文です。

この視点で考えれば、同性であろうと「一人一人の人間としての合意」に基づいているのであれば、婚姻は可能であると解釈するのが妥当なのではないかと、私は考えます。

「両性」というのは、当時(1945年~1947年)は、世界的にも「同性同士の恋愛・結婚」への理解は全くない時代でしたから、彼女としてもそういう意味では深く考えずにその言葉を使っただけでしょう。(また、条文は、彼女が作成した文章通りではなく、それを憲法仕様に修正されています)

ですので、この条文で彼女が本当に伝えたかったことを無視して「両性とあるんだから、男性と女性だ!」と解釈してしまうのは短絡的思考ではないでしょうか。
それこそ、彼女の言う「個人の尊厳・尊重、一人一人が人間として平等である」ことから逸脱してしまっていないでしょうか。

また、同性同士の婚姻が認められないというのは、この第24条2項にある「個人の尊厳」からも、そして第13条個人の尊重第14条平等の原則からも外れているように思うのです。

この第24条の改憲草案はどんな内容?

自民党はこの第24条をどのように改憲しようとしているのでしょうか。
そして、その問題点とは?
簡単にいうと、以下の通りです。

何をどう変えようとしている?

「家族」を日本の基本単位としようとし、お互いに助け合わねばならないとしようとしています。

問題点は?

現憲法における最小単位は「個人」です。
そして、公助、つまり国が国民のためにつくすようにされています。

それが、改憲草案では「家族」を単位とすることで個人を蔑ろにしようと仕向けています。
かつ、「お互いに助け合わねばならない」とすることにより、公助の放棄を明確にしています。

現憲法における最小単位は「個人」です。そして、公助、つまり国が国民のためにつくすようにされています。

それが、改憲草案では「家族」を単位とすることで個人を蔑ろにしようと仕向けています。かつ、「お互いに助け合わねばならない」とすることにより、公助の放棄を明確にしています。

改憲草案の原文を紹介します。そして具体的に考察もしてみました

改憲草案原文:第24条

※赤文字が変更箇所です。

(家族、婚姻等に関する基本原則)
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、
尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

2
婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、
夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

3
配偶者の選択、家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、
住居の選定、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、
法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

(家族、婚姻等に関する基本原則)
家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

2
婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

3
配偶者の選択、家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、住居の選定、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

自民党による言い分

家族は、社会の極めて重要な存在ですが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われています。
こうしたことに鑑みて、24条1項に家族の規定を新設しました。

なお、世界人権宣言16条3項も参考にしました。

(中略)

個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。
また、この規定は、家族の在り方に関する一般論を訓示規定として定めたものであり、
家族の形について国が介入しようとするものではありません。

(日本国憲法改正草案Q&A増補版より引用)

家族は、社会の極めて重要な存在ですが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われています。こうしたことに鑑みて、24条1項に家族の規定を新設しました。

なお、世界人権宣言16条3項も参考にしました。

(中略)

個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。
また、この規定は、家族の在り方に関する一般論を訓示規定として定めたものであり、家族の形について国が介入しようとするものではありません。

(日本国憲法改正草案Q&A増補版より引用)

※世界人権宣言16条3項
 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利がある。

改憲草案の問題点①:最小単位を「個人」から「家族」にしようとしている

家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。

新設したこの条文を、冒頭に持ってきています。

現憲法では「個人」を尊重することが明確になっています。(→第13条個人の尊重
ところが、改正草案ではこの第13条においてさえも「個人」を「人」としてきました。
※このあたりはリンク先の第13条の記事を読んでいただければと思います。
 記事末にもリンクを貼ります。

そして、この第24条にて「家族」を単位とすることを打ち出してきています。

自民党はこの理由の中に
「個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。」と書いています。

ですが、そもそも「個人」と「家族」は対比するようなものではありません。
また、先ほども述べたように第13条にて「個人」を「人」に変えようとしています。

このことから、どう考えても「個人として尊重する気はない」ことは明確でしょう。

それがどんな社会を招くのか。

新設したこの条文を、冒頭に持ってきています。

現憲法では「個人」を尊重することが明確になっています。(→第13条個人の尊重)ところが、改正草案ではこの第13条においてさえも「個人」を「人」としてきました。
※このあたりはリンク先の第13条の記事を読んでいただければと思います。記事末にもリンクを貼ります。

そして、この第24条にて「家族」を単位とすることを打ち出してきています。

自民党はこの理由の中に「個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。」と書いています。ですが、そもそも「個人」と「家族」は対比するようなものではありません。また、先ほども述べたように第13条にて「個人」を「人」に変えようとしています。

このことから、どう考えても「個人として尊重する気はない」ことは明確でしょう。

それがどんな社会を招くのか。

改憲草案の問題点②:「自助」を押し付け、助け合わなければ違憲となる

家族は、互いに助け合わなければならない。

この一文を「憲法」とすることで、助け合わないことが明確に「憲法違反」となります。

公助はあくまでも最後の最後、まずは自分達でどうにかして生きてくれ

とし、社会保障を削減しまくっても、問題ないとなってしまうでしょう。
現実に、コロナ禍において自民党はそのようにしてきていますよね。
それがもっとさらに、いろんな場面において堂々と「自助でやれ」を政府が言えるようになってしまうわけです。

これは、現憲法における第25条の明確な放棄です。
※現在は、公助、つまり国は国民一人一人が人間らしい生活を送れるように
 社会福祉や社会保障等の整備・向上しなければならないとされています。

この一文を「憲法」とすることで、助け合わないことが明確に「憲法違反」となります。

公助はあくまでも最後の最後、まずは自分達でどうにかして生きてくれ

とし、社会保障を削減しまくっても、問題ないとなってしまうでしょう。現実に、コロナ禍において自民党はそのようにしてきていますよね。それがもっとさらに、いろんな場面において堂々と「自助でやれ」を政府が言えるようになってしまうわけです。

これは、現憲法における第25条の明確な放棄です。
※現在は、公助、つまり国は国民一人一人が人間らしい生活を送れるように社会福祉や社会保障等の整備・向上しなければならないとされています。

■どんな「家族像」を自民党は求めているのか?

ところで、自民党はどのような「家族像」を求めているのでしょうか。

他の条文の改憲草案からしても、大日本帝国憲法(明治憲法)に戻したがっていることは確かです。
そうすると、この「家族」を憲法化することで、「家制度」(のようなもの)を復活させたがっていると考えても、
あながち間違ってはいないでしょう。

家制度のようなものが復活することで何が起こるのでしょうか。
実際に家制度があった時代の内容及び、自民党の過去の発言から考えられることを挙げてみます。

  • 男尊女卑を公式なものとできる(家長の権利の明確な復活)
  • 結婚が義務付けられる(お見合いが国策となる、独身税が設けられる等)
  • 出産が義務付けられる(下手すれば多産も)
    ※かつては、子どもを産めない女性は離縁されていました
  • 「家柄」が暗に尊重される
  • 同性同士の婚姻を絶対に認めないどころか、差別・迫害しても、今以上に問題ないとされてしまう

等々……

ここでも、私たち一人一人は尊重されることなく、
むしろ「国のために尽くせ」となることでしょう。

せっかく得た「婚姻の自由」をまた失うことになるのです。
(好きな人と結婚する自由、独身を選ぶ自由、子どもを産む自由、産まない自由等)

ところで、自民党はどのような「家族像」を求めているのでしょうか。

他の条文の改憲草案からしても、大日本帝国憲法(明治憲法)に戻したがっていることは確かです。そうすると、この「家族」を憲法化することで、「家制度」(のようなもの)を復活させたがっていると考えても、あながち間違ってはいないでしょう。

家制度のようなものが復活することで何が起こるのでしょうか。実際に家制度があった時代の内容及び、自民党の過去の発言から考えられることを挙げてみます。

  • 男尊女卑を公式なものとできる(家長の権利の明確な復活)
  • 結婚が義務付けられる(お見合いが国策となる、独身税が設けられる等)
  • 出産が義務付けられる(下手すれば多産も)
    ※かつては、子どもを産めない女性は離縁されていました
  • 「家柄」が暗に尊重される
  • 同性同士の婚姻を絶対に認めないどころか、差別・迫害しても、今以上に問題ないとされてしまう

等々……

ここでも、私たち一人一人は尊重されることなく、むしろ「国のために尽くせ」となることでしょう。
せっかく得た「婚姻の自由」をまた失うことになるのです。(好きな人と結婚する自由、独身を選ぶ自由、子どもを産む自由、産まない自由等)

改憲草案の問題点③:他人の思惑で強制的に結婚させることも可能となりかねない

婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

現憲法では、結婚というのは、あくまでも当事者二人の合意のみで可能となっています。
18歳以上であれば、二人がお互いに「結婚しよう」と決めればそれで婚姻届を出すことができます。
逆に、周りが強制的に結婚させることはできません。

ところが、改憲草案では、「のみ」という言葉を削除してきました。

つまり、

結婚したがっている当人同士の婚姻は認める。

だけど。

周りが強制的に結婚させることも憲法上可能とする。

そうなってしまう改正です。
問題点②で書いた、自民党が考えているであろう「家族像」は「かつての家制度」です。

このことから考えられるのはおそらく、
親の、特に父親(男尊女卑の明確な復活により父親の権力が強くなるため)の意向により、
強制的に結婚させることが可能となるわけです。

何しろ日本の基礎的な単位、言い換えれば最小単位を「家族」としたいわけですから、
そのためには「家族、つまり婚姻関係を結んだ人たち」を増やさなければなりません。
そして、子どもを産めない・産みたくない女性を遠ざけることがたやすくできるようにする。

ですので、当人同士の合意がなくても結婚できるようにするよう、
「のみ」という限定としている言葉を削除したのでしょう。

これは、改憲草案における第3項でより一層明確になっています。
次段落の問題点④にて。

現憲法では、結婚というのは、あくまでも当事者二人の合意のみで可能となっています。18歳以上であれば、二人がお互いに「結婚しよう」と決めればそれで婚姻届を出すことができます。逆に、周りが強制的に結婚させることはできません。

ところが、改憲草案では、「のみ」という言葉を削除してきました。

つまり、結婚したがっている当人同士の婚姻は認める。

だけど。周りが強制的に結婚させることも憲法上可能とする。

そうなってしまう改正です。問題点②で書いた、自民党が考えているであろう「家族像」は「かつての家制度」です。

このことから考えられるのはおそらく、親の、特に父親(男尊女卑の明確な復活により父親の権力が強くなるため)の意向により、強制的に結婚させることが可能となるわけです。

何しろ日本の基礎的な単位、言い換えれば最小単位を「家族」としたいわけですから、そのためには「家族、つまり婚姻関係を結んだ人たち」を増やさなければなりません。そして、子どもを産めない・産みたくない女性を遠ざけることがたやすくできるようにする。

ですので、当人同士の合意がなくても結婚できるようにするよう、「のみ」という限定としている言葉を削除したのでしょう。

これは、改憲草案における第3項でより一層明確になっています。次段落の問題点④にて。

改憲草案の問題点④:深いところまで国家権力が介入してこようとしている

配偶者の選択、家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、住居の選定、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第3項を読むと、かなり深いところまで国家権力が入り込もうとしていることが読み取れます。
「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」とありますが、
これは「公益及び公の秩序に反しない限り」の範囲でしかないことは改めて理解しておかねばならないことです。
第13条「個人の尊重と公共の福祉の改憲草案を見ても明らかです。

ではこの条文を具体的に考えてみます。

  1. 「配偶者の選択」の削除
    問題点③で指摘した「合意”のみ”」の”のみ”が削除されているその意味が、
    ここで明確にされています。
    そう、現憲法にある「配偶者の選択」の削除です。

    自民党は、
    私たちから「配偶者の選択」の自由を奪おうとしてきていることが明らかです。
    そして、「結婚しない自由」がなくなっていくことでしょう。
  2. 「家族、扶養、後見」の追加
    この言葉を追加したことの一番の狙いは「公助(社会保障等)の削減」だろうと思われます。
    扶養や後見を憲法に記載することで、国民は家族を「扶養」しなければならなくなります。

    「後見」もそうです。
    現在の「後見制度」というのは、
    責任能力(未成年等)や判断能力に支障のある人を支えるための制度です。
    これもまた「家族に課す」ということは、「公助の放棄」でもあります。

    そして、扶養しなかった家族にはなんらの処罰がくだるような法律が制定されるかもしれません。
    はたまた、例えば毒親から逃げて籍を抜いたとしても、それでもなお「扶養の義務がある」と
    される可能性もあります。
  3. 「住所の選定」の削除
    住所の選定の自由も削除しようとしてきています。
    実は、第22条「居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」においても、
    改憲草案では、国が居住の自由を制限できる内容へ変えられています。
    その理由は国防を理由にした徴兵・徴用(仕事に就かせる)のためでもあります。

    このように、徴兵・徴用のために国が住居を決めることができるようにした改正草案です。
  4. 「親族」の追加
    これもまた、「公助の放棄・削減」を目的としたものです。

    何かがあれば、たとえ普段交流のない人であろうと
    「親族」であれば助け合うべきだということを、
    さらに強く義務付けようとしてるのかもしれません。

    現在の民法では、自分自身の「6親等」までが親族となりますが、かなり広いですよね。
    配偶者がいる場合は、その配偶者の3親等までが親族扱いとなります。
    ※例えば、祖父母の甥・姪が5親等、その子どもたちが6親等、
     また、配偶者の兄弟の子どもまでが3親等で親戚扱いとなります。
     ここまで幅広く親族付き合いのある方はどのぐらいいるのでしょうか。

第3項を読むと、かなり深いところまで国家権力が入り込もうとしていることが読み取れます。「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」とありますが、これは「公益及び公の秩序に反しない限り」の範囲でしかないことは改めて理解しておかねばならないことです。
第13条「個人の尊重と公共の福祉の改憲草案を見ても明らかです。

ではこの条文を具体的に考えてみます。

  1. 「配偶者の選択」の削除
    問題点③で指摘した「合意”のみ”」の”のみ”が削除されているその意味がここで明確にされています。そう、現憲法にある「配偶者の選択」の削除です。

    自民党は、私たちから「配偶者の選択」の自由を奪おうとしてきていることが明らかです。そして、「結婚しない自由」がなくなっていくことでしょう。
  2. 「家族、扶養、後見」の追加
    この言葉を追加したことの一番の狙いは「公助(社会保障等)の削減」だろうと思われます。扶養や後見を憲法に記載することで、国民は家族を「扶養」しなければならなくなります。

    「後見」もそうです。現在の「後見制度」というのは、責任能力(未成年等)や判断能力に支障のある人を支えるための制度です。これもまた「家族に課す」ということは、「公助の放棄」でもあります。

    そして、扶養しなかった家族にはなんらの処罰がくだるような法律が制定されるかもしれません。はたまた、例えば毒親から逃げて籍を抜いたとしても、それでもなお「扶養の義務がある」とされる可能性もあります。
  3. 「住所の選定」の削除
    住所の選定の自由も削除しようとしてきています。実は、第22条「居住、移転、職業選択、外国移住及び国籍離脱の自由」においても、改憲草案では、国が居住の自由を制限できる内容へ変えられています。
    その理由は国防を理由にした徴兵・徴用(仕事に就かせる)のためでもあります。

    このように、徴兵・徴用のために国が住居を決めることができるようにした改正草案です。
  4. 「親族」の追加
    これもまた、「公助の放棄・削減」を目的としたものです。

    何かがあれば、たとえ普段交流のない人であろうと「親族」であれば助け合うべきだということを、さらに強く義務付けようとしてるのかもしれません。

    現在の民法では、自分自身の「6親等」までが親族となりますが、かなり広いですよね。配偶者がいる場合は、その配偶者の3親等までが親族扱いとなります。
    ※例えば、祖父母の甥・姪が5親等、その子どもたちが6親等、また、配偶者の兄弟の子どもまでが3親等で親戚扱いとなります。ここまで幅広く親族付き合いのある方はどのぐらいいるのでしょうか。
現憲法をもう一度読む

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

後記

お互いに好きあっている人と、お互いの「合意」だけで結婚できる。
それもまた、この日本国憲法になってからようやくできるようになったことなのです。

改憲されてしまえば、そういった自由もまた手放すことになってしまいます。
家制度の復活に、個人の尊重や自由はありません。

さらに、公助の放棄。
100%放棄ではないですが、まずは自助、とにかく自助ありきとなることでしょう。
そうして削減されていく社会保障。

それでいいのでしょうか?

しかも、これはあの「統一教会」の教えに沿った内容であることも露見しています。
本格的にカルトのための国になっていいのでしょうか?

お互いに好きあっている人と、お互いの「合意」だけで結婚できる。それもまた、この日本国憲法になってからようやくできるようになったことなのです。

改憲されてしまえば、そういった自由もまた手放すことになってしまいます。家制度の復活に、個人の尊重や自由はありません。

さらに、公助の放棄。100%放棄ではないですが、まずは自助、とにかく自助ありきとなることでしょう。そうして削減されていく社会保障。

それでいいのでしょうか?

しかも、これはあの「統一教会」の教えに沿った内容であることも露見しています。本格的にカルトのための国になっていいのでしょうか?

この第24条とも繋がりの深い条文は以下の通りです。
(リンクの文章は記事のタイトルではなく、関連がわかるような紹介文にしています)
興味のあるところを是非。

この第24条とも繋がりの深い条文は以下の通りです。(リンクの文章は記事のタイトルではなく、関連がわかるような紹介文にしています)
興味のあるところを是非。

最後まで読んでくださってありがとうございました!

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